翻訳と辞書
Words near each other
・ コンスタンティヌス帝の寄進状
・ コンスタンティヌス朝
・ コンスタンティネスク
・ コンスタンティノス
・ コンスタンティノス10世ドゥーカス
・ コンスタンティノス11世
・ コンスタンティノス11世ドラガセス
・ コンスタンティノス1世
・ コンスタンティノス1世 (ギリシャ王)
・ コンスタンティノス2世
コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)
・ コンスタンティノス3世
・ コンスタンティノス4世
・ コンスタンティノス5世
・ コンスタンティノス6世
・ コンスタンティノス7世
・ コンスタンティノス8世
・ コンスタンティノス9世モノマコス
・ コンスタンティノス・アレクシオス
・ コンスタンティノス・カツラニス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コンスタンティノス2世 (ギリシャ王) : ミニ英和和英辞書
コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)[こんすたんてぃのす2せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

コンスタンティノス2世 (ギリシャ王) : ウィキペディア日本語版
コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)[こんすたんてぃのす2せい]

コンスタンティノス2世(、1940年6月2日 - )は、ギリシャ王国の最後の国王(在位:1964年3月6日 - 1974年12月8日)。
== 経歴 ==
パウロス1世と旧ハノーファー王家出身のフリデリキ王妃の第2子として生まれた。姉はスペイン国王フアン・カルロス1世の王妃ソフィア1960年、20歳のときにローマオリンピックに出場し、セーリングのドラゴン級で金メダルを獲得した。
1964年、父パウロス1世の死去により即位した。同年、デンマーク女王マルグレーテ2世の妹であるアンナ=マリアと結婚した。姉妹とコンスタンティノス2世は、ともにデンマーク国王クリスチャン9世の玄孫に当たり、グリュックスブルク家の同族であった。
国王としては首相ゲオルギオス・パパンドレウと緊張関係にあり、国軍の指揮権を巡り争った。 パパンドレウは1965年に辞任し、政局が不安定化したため、1967年4月21日に軍事クーデターが生じた。同年12月にコンスタンティノスは家族を連れてローマに脱出した。その後も国王不在のまま、形だけの君主制が続いていたが、1973年軍事政権は君主制を廃止し、共和制を宣言した。1974年にはコンスタンディノス・カラマンリス率いる民主化政権のもとで2度目の国民投票が行われ、大差をつけて正式に君主制の廃止が決定した。
ギリシャの民衆と政治家の中には、軍事クーデター前後における政治の混乱を、コンスタンティノス2世が原因だとする意見が強い。パウロス1世とギリシャ共和国双方で首相を務め、後には大統領も務めたカラマンリスは、コンスタンティノス2世を「パウロス1世のわんぱく坊主」だと軽蔑していた。他の政治家の中には単に馬鹿者と呼ぶ者もいる。国民投票の動向が決定した1974年12月8日のラジオ演説でカラマンリスは、「今日、国家の癌が国民全体により否定された」と述べた。これは当時の世論を如実に物語っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.